跳慮跋考

興味も思考も行先不明

異世界スマホと「小説家になろう」

今年の七月~九月に放送されているアニメ作品(いわゆる夏アニメ)の一つとして『異世界はスマートフォンとともに。』がある。
敢えて評判について言及はしないが、控えめなところでも「異世界RTA」「虚無」等の言われ様から想像できるだろう。しかし敢えてこの作品がどう面白いのかとか、どこからやってきたのかとか、ここで書きたいのはそういう話だ。
断っておきたいが、異世界スマホが正に「なろう」の象徴だという話はネットの至る所でなされており、この記事はそれを覚書としてまとめた程度のものだ。何ならば本物の事情通がより精度の高い論を書いてくれれば私は非常に嬉しく思う。

君もツッコミ系主人公になろう

とりあえず死屍累々とも言うべき巷間にあって私が何故この作品を見続けているかという話をすると、自分で突っ込みどころにあーだこーだ言いながら観るのが楽しいのだ。
まず冒頭から手違いで自分を殺した神とのんびり話している時点で可笑しみがあるし、通り掛かりの馬車からわざわざ降りてきて服をせびる商人、ドーナッツ状によくコントロールされた砂の魔法、転ぶだけで無力化されるあらゆる敵、「歴史的遺物」という曖昧なクエリを的確に実行する「サーチ」、地面からぬるりと湧く召喚獣、何故かフラワーロックの顔の位置に被せて開かれる「ゲート」、ゴム弾とは言え躊躇なく人を撃つ主人公、「伝説の不採用通知」を思い起こさせる盗み聞き実況、「よく似合ってる」とヒロインに言われたかと思えば後に「そんなコート」呼ばわりされる主人公の白コート等々、シュールレアリスムを感じさせるシーンには枚挙に暇がない。(キャプチャとかは載せない主義なので各自観て頂きたい)
系統としては『ファンタジスタドール』や『聖戦ケルベロス 竜刻のファタリテ』の可笑しみ(それと裏腹にこれらの作品の筋書きはきちんとしているが)や『聖剣使いの禁呪詠唱ワールドブレイク』のバカさに近いものがあるのではないか。あまりお行儀の良い楽しみ方とは言えないだろうが、そういう面でエンターテインメント性は十分にあるのではないかと思う。
というか「イセスマ」呼びしている層は普通に楽しんでいるとも聞く。当然それが一番だろう。

「なろう」への最適化

この作品の序盤における淡々とした素早い展開(RTA 性)は、それが投稿されているサイト「小説家になろう」、通称「なろう」の性質に起因する。
小説家になろう」のホームページで「ランキング」のリンクをクリックするとまず「ジャンル別日間ランキング」が現れる。ここがなろうで小説を書く者の主戦場であり、とにかくも各ジャンルにおいてこの 100 位以内に入らなければ読まれる事も難しいのだ。
その為にどうするかと言うと、投稿戦略としてはとにかくも定期的に投稿を続けなければならない。更新されなければ読む人はいよいよ減るばかりだ。
また利用者側としても目的は「クオリティの高い小説を読む事」よりむしろ「暇潰し」が主なので、結果として「短時間でサクッと読める 3000 字程度の話」を「週一くらいで定期的に」投稿するのが最適行動という事になる。
この制約の中で更に読者受けを狙おうとすると、ややもすれば雑な展開での成功体験やラブコメ的イベントを展開せざるを得ない。そうした背景がこの異世界スマホに表出していると言える。
これより前にも『この素晴らしい世界に祝福を!』や『Re:ゼロから始める異世界生活』というなろう原作の小説がアニメ化された例はあるが、これらはむしろその制約の中で出来上がったテンプレートに批判的な向きのある作品であって(特に前者では御剣響夜というキャラクターが象徴的)、歴史とは順序を異にしている。「独自進化に対する外部の目線」に近いが故に、そちらの方が受け入れやすいのは確かだろう。

キャラクターの心理

別に擁護したい訳ではないので一つ書いておくと、この作品にはキャラクターの心理的な一貫性というものがほぼ存在しない。
序盤の立身出世において主人公の望月冬夜は、努力という面倒を避けて「手札の組み合わせによって成功を掴む」即ちイノベーション=新結合で成功する(シュンペーターの最悪な応用だ)展開を作る為に、何物にも執着せず無欲極まる聖人が如き振る舞いをする。一方でするだけ成功を極め、周りのヒロインからの恋愛感情を一身に受ける(いわゆるハーレム)展開に主軸が移ると、一転して主人公も下心を持った一人の男として描かれる。
まぁヒロインの恋愛感情を示唆する描写(いわゆる「落ちた」場面)は登場とほぼ同時に配置されており、それぞれの行動は必然的に「なんか惚れているっぽい様子」で塗れている。この辺りのハーレム展開に伴う没個性化は先行研究(歴史を刻んだ『異世界はスマートフォンとともに。』11話を「読み解く」 - MistiRoom)によく述べられているのでここで繰り返す必要はないだろう。
個人的には世界の物理的な整合性よりもよっぽどこの心理的な整合性や希薄さの方が気になるので(それにより例えば私は『君の名は。』を普通に楽しめたと言える)、この作品を真っ当な物語として受け取るのは難しい。