跳慮跋考

興味も思考も行先不明

世界改変直後の暁美ほむらの心情について

マギアレコードにまどか本編における暁美ほむら(クーほむ)が実装された。

190121.magireco.com

イベントストーリー及び彼女の魔法少女ストーリーは基本的にまどか☆マギカ本編の内容を暁美ほむらの視点で時系列順に整理したものだが、第12話の別れから世界改変の間の出来事として新たな場面が描かれている。
即ち、神浜(マギアレコードの舞台となる都市)において他の魔法少女と連携しつつ鹿目まどかを救う手立てを探る自らの様子を垣間見ながらも、まどかを信じているから、あり得たかもしれない可能性(マギレコ世界線の存在から示唆されたもの)を夢見たりしないと断じるのである。

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改変中に既に肚を括っている(マギレコ 暁美ほむら魔法少女ストーリー 3話より引用)

その結果、改変直後の「まどか……」という台詞はまどかの願いを受け入れていつかの再会まで戦い続ける、言わば殉教者としての決意の滲むものとなっている。

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問題の場面(BD 6 42:23 より引用)

個人的にこれが本編を観た時の私の解釈と異なって興味深かったので、まどか☆マギカのTV本編及び叛逆と照らし合わせて改変直後の暁美ほむらの心情、そして特に「まどか……」という台詞に込められた想いについて検討してみたい。

未練の別れ

まずまどかとの別れの場面を振り返ろう。

ここでまどかは、たとえ願いによって人間としての存在を失うとしても良かったのだと説く。そしてほむらにも希望を持たせようとするが、その試みは最後まで叶わない。ほむらの叫びが別れを惜しんでのものである事は明白だろう。
そしてほむらの台詞として最も注目すべきは「まどかは……それでもいいの?」「私はあなたを忘れちゃうのに?」という部分だ。ほむらは当初まどか自身の寂しさについてそれでもいいのかと問うているのだが、ここで「私は」と自身の寂しさにも言及対象を広げている。勿論「わたしはほむらちゃんの側にいるよ」という台詞を受けてのものでもあろうが、綯い交ぜになったまどかへの純粋な思いやりとほむら自身の思慕から、まどかの説得により後者がより際立っていく過程を見る事ができるだろう。
これは第11話で吐露されたほむらの感情的な孤立の再現であり、更には叛逆の物語の主題でもある。暁美ほむらが何をしたかを知り尽くして尚、まどかはほむらの「寂しさ」といった一言ではとても足りぬ感情を十全に理解する事ができなかった。
この別れの場面はほむら個人の心理から捉えれば全く感動的なものではなく、純に理不尽で受け入れがたい別れなのだ。

最後の独白における「悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけれど」という部分にも、彼女の無理している心情を汲み取って良いかもしれない。
また決定的なのは叛逆における「やっぱり、認めちゃいけなかったんだ」という部分だろう。まどか自身の口から神となった状況が耐え難く辛いものであると語られ、ほむらは彼女の意志を尊重するよりもどうにかして契約を阻止し心を守らねばならなかったと思い直す。行動ではまどかの祈りを尊重しつつ内心では間違いではなかったかと疑い続けていた、その捻じれがあったからこそ「やっぱり」なのだ。

以上の様にほむらの深刻で根深い惜別の情を考えれば、あの別れからすぐに殉教者としての覚悟が決まったとは思いがたい。「まどか……」という言葉は惜別の痛みによってこそ発せられたのではないだろうか。

約束のリボン

上の解釈は叛逆まで含めた俯瞰的な分析によるものだが、一方で問題の場面に現れた重要な象徴を考慮していない。まどかから受け取った赤いリボンがそれだ。

このリボンは授受に当たってまどかが語った祈りを正に象徴しており、だからこそ叛逆においてほむらはそれを遂に返上する事になる。
ついでに言えば、リボンに並び目立っている象徴が暁美ほむらの髪だ。暁美ほむらの在り方の変化はリボンも含めた様々な装いによって示されているが、願いから約束へと目的を変えた時(第10話のいわゆる3周目)に彼女のお下げは眼鏡と共に捨て去られ、その姿(眼鏡ほむら)はまどか救えなかった弱い自分の象徴となっている。
この象徴は叛逆において数多く登場し、公園における語らい(Chapter 19)でまどかがほむらの髪を結うのは特に意味深長だ。まどかからすればほむらに自分を捨てて欲しくなどないのだが、ほむら自身は飽くまでもまどか(の祈り)を守る為に報われぬ死を望む。だから結びかけた髪はまた解けてしまう。

話が逸れたが、「まどか……」という台詞はそのリボンが手に残されている事に気づいての言葉だ。ならばこの瞬間にまどかが言葉では果たせなかった説得が、他でもない「本当の奇跡」そのものの証拠によって成功し、ほむらはその祈りに恭順すると決心したと捉えられる。であるからこそ、次にほむらはリボンを身に着けて現れる。

この場面は祈りが引き継がれた事を意味する決定的な部分なのである。

結び

さて、以上に私の従前の解釈とマギレコで示された解釈を検討したが、振り替えると私の見方は大きく叛逆に影響を受けていると言える。これは暁美ほむら個人のキャラクター心理を考えるとTV本編は問題提起であり、叛逆こそ「解決」だという風な私のまどか観の現れだろう。

とはいえ、当の場面を正直に観るとやはり、まどかとの別れを惜しみ耐え切れず「まどか……」と発したと捉えたくなるのだが、果たしていかがだろうか。
いやマギレコ流の解釈を推し進めれば、この言葉は受け取った以上はまどかの祈りに殉じると決まっているものの、とはいえリボンしか残っていないという状況を認識して恋しい気持ちが抑えきれずに零してしまった、といった風に考えてもいいかもしれない。

TV本編、叛逆、マギレコまで何を「史実」とするかは人に依るだろうが、何にせよ2011年から8年も経って尚彼女達の心に寄り添う機会がある事を嬉しく思う。