跳慮跋考

興味も思考も行先不明

えんどろ~!第5話、それは日常系だからこそ

今期のアニメ作品『えんどろ~!』は元々「かわいい」「メイのキャラアピールがもうちょっとテンプレ的じゃないと嬉しい」くらいの低解像度で観ていたのだが、第5話の台詞をきっかけに大きく視聴態度を正される事になったので、ここで(やや今更ながら)その話をしたい。


第5話の粗筋はざっくり言うと、お姫様(ローナ姫)が勇者に会いに来て、ユーシャがその勇者であるという事をアピールする為にお祭を開く、というもの。
そこへ演劇に用意された魔獣が暴れ出すハプニングが起こり、ユーシャは収拾へと向かう。ローナ姫は彼女に訊く「それは勇者だから、ですか?」。それに対するユーシャの「それとはちょっと違う……っぽい?」「あたしだから、かな!」という台詞が、私の今回取り上げたい部分だ。

本作の第2話でも999代に亘る戦いの歴史が示されている様に、通常「魔王と勇者」と言えば宿命的な敵同士であり、逃れられない運命によって戦う事を強いられる。たとえ初めは勇者としての自覚がなくとも徐々に使命感を持ち、正義を果たす者としての心構えを身に付ける筋書になっている、それが良い事とされている。つまり自分であるよりも役割を勤める(あるいは両者が一致するべくアイデンティティを順応させる)方に重きを置く点で、「自分<使命」という関係が「魔王と勇者」の物語パターンには組み込まれている。
しかしこの物語は日常系なので、深刻な使命だとか責任だとかいうものが生じる事は決してない。日常系において解決しなければ危険な問題は何も発生しないのだ。(この「危険な」というところを見落とすと「何も起こらない」などという誤った認識に繋がってしまう。)よって勇者も魔王もその責務を安全に投げ出せるし、実際にマオ(魔王)は第2話の時点で自らの役割を投げ出してしまった。
ユーシャ(勇者)も第5話以前に具体的な発言がある訳ではないが、そもそも魔王の不在を知らなかった(第1話)のだし、第4話「今日は勇者っぽいことできたと思う!」といった台詞を目を輝かせながら言うのだから、正義感・使命感といったものを秘めているのではなく単に勇者というイメージに憧れていると言えるだろう。

さて第5話で登場するローナ姫は勇者大好き❤️をアピールしてくる一方どこか打算的な雰囲気も見せ(マオに対する眼光の他、ユーシャに抱き着く前にも少し躊躇った後に決心する様子がある)、そして勇者を援助し共に魔王を討ち滅ぼすという使命に燃えている。この時点での彼女の勇者観は我々のそれと極めて近いと言えるだろう。そしてその視点からすると、彼女が尋ねた様に当該シーンでのユーシャの動機は「勇者だから」の筈だ。勇者は人民を助ける正義の存在なのだから。
しかし、ユーシャの答はそうではない。彼女の行動原理はあくまでも自分自身の理想から来るであって、勇者としてではないのだ。そしてそれはこの物語が日常系であるからこそ肯定される。日常系であるからこそ、勇者としての責務を最優先にしなくても良い、使命ではなく自分に従う事が肯定されうる。そして実際に事件が解決する事で世界から肯定される訳だが、それだけではなくローナ姫がときめく描写により一層強調される。
上述の様にローナ姫は運命と使命の側の人間、この日常系世界においては例外的で異質な本来の「魔王と勇者」を象徴する存在なのだ。その彼女からすると、ユーシャの言葉は今まで思い描いていた勇者像とは真逆のものであり、だからこそときめきを引き起こす意外性(ギャップ)となる。ここからローナ姫にとって「自分<使命」の絶対性が崩れ、ユーシャ達の事も徐々に個々人そのものとしてみる様になっていく。これは第7話で十分に描かれているし、また第5話のサブタイトルが「私の勇者様~!」であるのに対して第8話のサブタイトルが「私のユーシャ様~!」なのは正にその暗示であると言える。

総じて「あたしだから、かな!」という台詞には

  • 日常系だからこその「自分>使命」を提示し肯定する
  • ローナがユーシャにときめく原因となる

という二つの機能を持ち、互いが互いを根拠として説得力を高め合っている。これこそ「日常系ファンタジー」を標榜する本作でなければあり得なかった台詞ではないかと思う。