跳慮跋考

興味も思考も行先不明

スキーマと操作

ジャン・ピアジェは認知発達の議論において「スキーマ」(彼はフランス語で SchèmeシェムSchémaシェマ を区別し、後者は操作性のない図式・イメージに使っている。ここでは慣例的な「スキーマ」の語を、前者を指すものとして用いる)を導入した。

スキーマという概念

スキーマ

知識を体制化する心的な枠組みであり、関連した概念を組み合わせて、意味のあるまとまりを作り出す。

(箱田裕司・都築誉史・川畑秀明・萩原滋『認知心理学有斐閣、p.198)といった曖昧模糊とした定義で述べられる事が多いが、

  • 一つの完結したモデルであり、
  • 限られた要素を持ち、
  • 限られた(しかし拡張可能な)適用範囲を持ち、
  • 一定の操作システムが付随する(ピアジェの言う構造と操作)

という点が本質的である様に思われる。

例えば「掴む」行為のスキーマを考える。このスキーマには「掴むもの」と「掴まれるもの」とでも言うべき要素があり、「掴む」操作は「掴まれるもの」を「掴むもの」へアタッチする。逆に「放す」操作によりこの関係は解消される。
このスキーマが獲得された当初は「掴むもの」が手で、「掴まれるもの」が棒の場合にしか適用できないかも知れない。しかし、球や板など様々なものが「掴まれるもの」に当て嵌められるだろうし、「掴むもの」も足などが可能だろう。こうしてスキーマの適用範囲は拡大する事ができる(同化)。ただしものの形によって掴みやすい部分は異なるので、「掴まれるもの」はある種のパラメータを内包する様になり、それに応じて「掴む」操作も変容する(調節)。

構造

ここで特に注目したいのは、ピアジェがこの「構造」を明確に数学的な意味で用いていた事だ。
「掴む」スキーマならば、「掴む」操作と「放す」操作がそれぞれ心の中でシミュレーションできるだけでは、スキーマが確立されたとは言う事ができない。これらの操作を組み合わせた結果もスキーマ内に完結し、また各操作の逆も存在し、それによりスキーマで表現される限りあらゆる関係性が元に戻らなくてはならない。
ただ現実には特定の状態に対してしか適用できない操作も多く、基本的に群とまでは言い難い。スキーマの構造としては一般に状態遷移図くらいのものが妥当なのではなかろうか。(任意の射が可逆である small category として定義される、groupoid と言えなくもないが。メタファーは果たして準同型/関手と言えるだろうか?)
いずれにせよ可逆性は構造に不可欠な性質であって、頭の中の変容したイメージが元に戻せなくてはスキーマが内在化されたとは言えない。

スキーマの中でも指折りに重要なのは「長さ」や「大きさ」のスキーマだろう。これらは始め「時空間モデル」で述べた様に空間上の物体に対して構築されるが、時間や数量概念の同化によって非常に広範囲に適用される様になる(概念メタファー)。
また集合のスキーマも決定的に重要で、離散的な概念一般がこれを基礎にしている。例えば自然数も集合の基数(要素の数)に起源を持つ。誰もペアノの公理に沿った実装やチャーチ数を数の実体とは考えていないだろう。(これらの違いは数がどの様な内部構造を持つかという事だ。)
ただ 10 以上の要素を心の中で扱うのは難しく(所謂マジックナンバー 7±2)、記号化とそれに対応した操作が必要となる。例えば十進法で自然数を表現することにすれば、加算は最早単なる和集合ではなく、各桁の足し合わせと繰り上げの処理へと変換されなければならない。