跳慮跋考

興味も思考も行先不明

認知文法

二十世紀中頃の、プラトン的で「固い」言語学に反発する認知言語学の一派として、ロナルド・ラネカーは認知文法を提唱した。プラトン的とは即ち、言語を超越的な、人間の活動とは独立に存在するとする考え方である。認知革命は世界の法理に通じるロゴスであった言語を、物質世界での人間の所産へと取り戻した。

内容要件

認知文法では、内容要件として言語というものの要素を厳しく制限している。

(i) 表現の一部として実際に生起する意味的・音韻的・記号的構造
(ii) 認可される構造のスキーマ
(iii) 認可される構造の間のカテゴリー化の関係

(『認知文法論序説』研究社、p.31)
ここで (i) は謂わば終端記号であり、実際の使用場面(事例)から文脈や感覚入力にグラウンディングされた概念が構築される。
経験以外から概念を獲得する過程の一つは、スキーマ化である。複数の概念の共通構造が抽出されて新たな概念、スキーマが生まれる。ここでの「スキーマ」は(本人の考えたほど厳格ではないにせよ)ピアジェに由来する言葉だろう。
またカテゴリー化によって、概念間の関係(これもまた概念である)が形成される。カテゴリーは共通のスキーマの精緻化(=事例化)である場合の他、文脈の共通性(連合)であったり、意味内容の類似性からも発生する。

こうした概念の意味はプロトタイプ的であり、事例や下位概念の中には典型的なものとそうでないものがある。例えば「鳥」ならばスズメ等は比較的「よい例」と判断されるのに対し、ペンギンやダチョウはそうではない。これはカテゴリーの境界が曖昧であるという事でもなくて、「奇数」ならばその境界は明確であるにも拘わらず、3 や 5 が典型的と判断される。(こうした述語によるカテゴリーは非常に自由度が高く、「カテゴリー化」はかなり注意を要する概念であるかもしれない。)

例:「普通に」

「普通」は集合のイメージ・スキーマ(これもまた上述のスキーマ化の産物ではあるが、より図式的であり、その根底には言語というより視覚などの認知システムに由来するモデルが暗示される)を基盤とし、その中でも目立った特徴がない事を意味する。

一般に「目立つ」事は正の評価を与えられる場合が多く(「目立ち」の方が有標となっている)、この価値判断から「普通」には負の評価が附随する。しかし「普通に」と副詞で用いられる場合、これは「~に」というスキーマの精緻化であるが、「~」の部分には尺度のイメージ・スキーマ上での意味附けが要求される。

尺度の上で「目立たない」と言うと、これは最高水準(「非常に」「最高に」)だけではなく最低水準(「微妙に」「僅かに」)でもない、即ち中庸であるという事になる。

ここで特に最低水準との間にある隔たりに注意が向けられる(ラネカーの言う「際立ち」)と、「普通に美味しい」等の肯定的意味合いにも違和感なく使用する事ができる様になる。