跳慮跋考

興味も思考も行先不明

暁美ほむらの叛逆について

先の記事で触れた暁美ほむらの叛逆の動機について論じたい。*1
暁美ほむらは何故「叛逆」に至ったのか? それを紐解く為には『叛逆の物語』以前、『まどか』本編での彼女の心理的な足跡を辿る事から始めなければならない。

願いと約束

第10話冒頭、いわゆる1周目(第10話は各ループが連続して起こった様にも捉えられる描き方になっているが、虚淵玄氏の発言*2では第10話に描かれたループが全てではない事が示唆されており、ここでは飽くまでも名目上「○周目」という言い方をする。以下「いわゆる」と一々付けないが同様に解釈されたい)の暁美ほむらは病弱で長い入院生活を経ており、自己評価がかなり低い。「人に迷惑ばっかりかけて」という言葉の裏には、入院生活で両親を始めとした人々への申し訳なさ、負債感とでも言うべきものを募らせてきた生育歴を窺う事ができる。

その負の感情が増幅し切った淵で、ほむらは魔法少女という存在に出会う。魔女を倒した時、魔法少女についての話を聴く時の、鹿目まどか巴マミを見る瞳には、ほむらの憧れ*3の芽生えを見て取れる。(この辺りの流れは本編のまどかと相似している。)そしてワルプルギスにまどかが敗れた時、ほむらは「彼女を守る私になりたい」と願う。

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左: 「クラスのみんなには内緒だよ☆」なまどかを見て(BD5巻30:05より引用)
右:その後、マミ宅で魔法少女のやりがいを聞くほむら(BD5巻30:47より引用)
ここで注目すべきは「私になりたい」という言い方だ。この時点のほむらはまどかが無事ならば何でもいいというのではなく、人並みに自分の在り方について気に掛けている。純然たる利他心から来ているのではなく、自己実現の要素がこの願いには含まれていたと言えるだろう。(そしてこれは決して責めるべき事ではない。むしろクールほむらへと転換するに至る出来事がいかに深刻な衝撃を彼女に与え、通常の人間心理から逸脱せしめたかを思うべきだ。)

2周目で経験を積んだほむらは3周目でまどか達と対等な力で戦える様になり、二人だけにはなってしまうが共にワルプルギスを撃退する。ほむらが「こんな世界、何もかも滅茶苦茶にしちゃおうか」と言ったのは、この3周目の状況に殆ど満たされてしまったからではないだろうか。「鹿目まどかを守る」事は結局できなかったものの、魔法少女として戦い、戦力として活躍もして、ほむらは人生で初めて自分の役目を得た。病床に臥せっている時分には考えつかないほど立派な「自分」を手に入れたのだ。

しかしまどかはそうではなかった。一言で言えばまどかは社会的なパーソナリティの持ち主だった。他人の中に自分の存在を見出すタイプであり、それはたとえ主体としての自分が消失してしまっても続く。言い方を変えれば、他人に害を為す魔女化の運命を放ったまま死ぬ訳にはどうしてもいかなかった。まどかも魔法少女を存在理由としてはいるが、それは「他人の役に立つ自分」を得る為だ。この他者の介在こそ、まどかを諦めさせない決定的な心理であったと考えられる。

(ここでのまどかの頼み事にはほむらを生かす意図があったという説を見た事があるが、なかなかその辺りの解釈は難しい。まどかは元来打算的な行動をする性格ではないし、するにしても第7話でさやかのソウルジェムを投げ捨てた粗削りな手段と比べると洗練され過ぎている様に見える。だが一方で何故グリーフシードを持っていないと偽ったのか、といった点を考えると、その意図があった方が整合的だとも思える。ただやはり私としては「さやかのグリーフシードなので*4使う気がなかった」「ほむらの話と対比して自分の気持ちが鮮明になった」「そのグリーフシードを使ってでも、希望を諦めたくなかった」……といった時系列を考えるのが、鹿目まどかとして最も自然ではないかと思う。)

まどかの言葉により、ほむらは果たすべき約束と共に友殺しという罪を背負った。こうして4周目以降、第1話に繋がる無私の存在としての暁美ほむらが成立するが、そこには約束を果たすのと同時に贖罪の方も重要な動機であったらしき事が『叛逆』を読み解くにつれ分かってくる。

殉教者

第12話でほむらはまどかと別れる事になるが、ほむらは一貫して悲観的・否定的態度を示している。ここでほむらは約束と罪を清算する使命を失う事も、まどかのいなくなる寂しさも、受け入れるしかなかった。クールほむらとしての在り方を全面的に放棄する必要に迫られたのだ。

結果的にほむらが選んだのは、魔法少女としての責務を果たす事でまどかの救済に報いるという生き方だった。押し切られて何もかも済んでしまった以上は、もうまどかの選択を尊重するしかない。このリボンほむらは一見落ち着いていて現状を受け入れている様だが、『叛逆』後の視点からして見れば、「救いようのないこの世界だけれど」といった台詞に本意でない気持ちを汲み取る事もできる。

ただこの時点ではまどかの願いを継いだ唯一の者として、誇りを持って戦い続けようとしている事は確かだろう。ここから叛逆までの間にも、クールほむらが第1話まで過ごした時間に近い心理の変遷がある。その中でクールほむらの時よりも更に膨大となった感情の圧が、『叛逆』において彼女の判断を揺さぶる事となる。

こうしてほむらは『まどか』本編の中で二度に亘りアイデンティティの変革を経る事となった。『叛逆』における暁美ほむらはこの重層的な心理を前提として読み解かなければならない。おおよそ以下の様に経過しており、過去のほむらも消え去った訳ではなく絶えず今の行動に影響を与え続けている。

眼鏡ほむら魔法少女への憧れ、自己実現
クールほむらまどかとの約束(と贖罪)
リボンほむらまどかによる救済の尊重

クールほむらへの転換は特に全ての中心が自分ではなくまどかになった決定的な変化だが、それでもマミをお菓子の魔女から遠ざけようとしたり、杏子の死を悼んだり(悲しげな「杏子……」という言葉には協力者の喪失を惜しむ気持ち以上のものを読み取って良いだろう)する様子には確かにかつての仲間達への親しみが窺われる。眼鏡ほむらとしての心理もどこか持続しているからこそこうした行動が現れると言えるだろう。

またここで指摘しておきたいのが、第11話におけるほむらの「あなたを救う、これが私の最初の気持ち」という台詞だ。これはほむらの契約の祈りと一致するかの様でいて、上に指摘した「私になりたい」というほむら自身の介在が無くなっている。これを単に眼鏡ほむらとクールほむらの心理的な断絶の表れと考える事もできるが、後に述べる抑圧の観点を採り入れるならばもう少し詳細な背景を推測する事もできる。つまり「友達を撃ち殺した」という罪から目を背ける為に、無意識的に「まどかを救う」目的を軸として自らを語り直しているのはないか。クールほむらの起点となったこの出来事について、約束と贖罪の両方を行動原理とする中で、約束を殊更に意識する一方贖罪については強く抑圧していた。ほむらの発言からはそうした心理模様を読み取る事も可能である様に思われる。同様な分析は『叛逆』の「まどかを救う、ただそれだけの祈りで魔法少女になったのよ」という台詞にも適用する事ができるだろう。

叛逆

ほむらは彼女の望んだ事だから、とまどかを人間として生かす事を諦め、救済の願いに殉じる道を選ぶ。しかし『叛逆』においてその論理は崩壊してしまう。

まずほむらは公園で二度目、髪を解き巴マミと砲火を交え(そしてさやかから遠回しに処罰感情を宥められ)た後にまどかと語らう場面において、まどか自身の口から「円環の理」となる様な状況は「我慢できないほど辛いこと」だという認識を聞く。ほむらにとってこれは第12話の選択、リボンほむらとしての行動原理の否定に他ならない。たとえまどか自身の決断であっても、非常に辛い事ならばそれはやはり止めるべきだった。絶対に「それがまどかの望みだから」と納得してしまうべきではなかったと、ほむらにそう後悔させるに十分過ぎる言葉だった。

まどかが本物の鹿目まどかだった、という点からほむらは自らが結界の主である事に気付いてしまうのだが、魔女化という事実は再びほむらの在り方を否定する。円環の理はまどかの存在が代償となって成立したシステムなので、救われる者も対価を支払わなければ対等ではない。救済の日まで戦い続ける事がほむらの考える対価であったのに、結界という箱庭に逃げ込んでその戦いから目を背けてしまった。キュゥべえの所為などと言って済ませられはしない、ほむらにとってこれは明白な裏切りであった。さやかと別れた後の「そんな弱さ、許されていいわけがない」という言葉は自分が犯人だとは思わずに発したものだろうが、ほむらは誠実にも自分自身を断罪する事にしたのだ。

リボンほむらとしての在り方が「失敗」だったと判明したとは言っても、すぐにそれを棄てた訳ではない。まどかの選択を尊重しているからこそ「魔女化=裏切り」なのだし、意図せずにとはいえまどかの犠牲に泥を塗った以上は「私はこの世界で死ななきゃならない」。それがキュゥべえに円環の理を観測させず、まどかの願いを守る事にもなる。ここまではリボンほむらとして考え方が一貫している。

だがそこに「ひとりぼっちにならないでって言ったじゃない」というまどかの言葉が響く。救われる事を、ほむら自身の事を諦めないで、という意図とは裏腹に、この言葉はほむらの心中に暗然たる澱と沈んでいた感情を呼び覚ます。

ほむらがまどかと共に戦ったのは、実際のところ眼鏡ほむらの頃の僅かな時間だけだった。「気持ちもずれて、言葉も通じなくなっていく」と涙するほどの時間をまどかとの約束の為に費やし、そこから更にまどかの事が「勝手に作り出した絵空事だったんじゃないか」という不安に苛まれながら改編後の世界でずっと戦い続けた。その深い孤独、結界の中での自分をまどか達と戦う眼鏡ほむらに(無意識的に)設定した事も、そうした孤独による願望の反映ではないか。

孤独だけであったならば、救済を拒む理由にはならない。「これからはずっと一緒だよ」という言葉を受け入れればそれで済む筈だった。しかしほむらの心には、深く刻み込まれたもう一つの心理があった。それがクールほむらとしての、まどかを守るという固い意志だった。

その蘇った理由の一つは、明らかに「我慢できないほど辛いこと」という言葉だろう。これはリボンほむらの否定であると同時に、クールほむらの肯定でもあった。辛い選択をあえてできる勇気、その尊い意志を否定してでも果たしてまどかの心を救うべきなのか。長い長い時間ほむらを駆り立て続けた「まどかを守る」意志、更に元を辿ればまどかを自ら撃ち殺した事から始まる「救えなかった」という悔恨、たった一人の友達に託された「私を助けて」という願いは、結局「まどかの意思よりも幸福(とほむらの信じるもの)を守る」という独善的とも言いうる選択へとほむらを導いた。「愛」という新たな行動原理は、この天秤の逆転によってこそ成立した。

暁美ほむらの叛逆は、こうした諸心理が混然と鬩ぎ合った果てに起きた。ほむら自身ですら、その動機をはっきりと認識していた訳ではないのではないかと思う。(そういう意味ではこうして筋道立てて語る事自体に無理があるのだが、それでも幾らかの意義があると信じて書いている。)ある意味で、悪魔となって以降に語った内容は事後的に組み立てたものなのかもしれない。

「悪魔」という自称は、否定しても尚まどかの意思を「善いもの」と考えていたからこそだろう。「あの神にも等しく聖なるものを貶め蝕んでしまった」という言葉にそうした認識が端的に表現されている。一方で「欲望よりも秩序を大切にしてる?」という言葉は、上記の「まどかを守る」という意志が叛逆を引き起こしたと考えるとやや整合しない。ほむらにとってはそれがなすべき事であり、欲望とは異なっている筈だからだ。

では叛逆に「まどかを守る」という意志は大して寄与せず、ほむらは自らの望む世界の為にまどかを人に堕としたのか? しかしそれでは3周目ワルプルギス戦後に似たあの場面を説明する事ができない。ほむらは確かにあそこでクールほむらとしての根源的なトラウマを呼び起こしていた筈だ。

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左:まどかを抱えるほむら(叛逆BDの1:31:36より引用)
右:3周目を髣髴とさせるほむらの銃(同1:31:42より引用)
この事態をどう解釈すべきなのか。手掛かりとなるのは、台詞と心象(映像)の間にある内容の差異ではないだろうか。台詞では「もう一度あなたに会いたい」といった再会を希う思いが披瀝されるが、心象としてはまどかを助けられなかった痛烈な記憶が浮かび上がっている。それは決して言葉では触れられる事がない。

この対比を読み解く為に、「言葉が顕在意識を構成する」という古典的な立場に拠ってみたい。認識する事は言葉にする事であり、言葉になっていないものは基本的に無意識下に埋もれている。やや単純化した見方ではあるが、そう考えると当該場面の描写をほむらの心理と結び付ける事が可能になる。つまりほむらの顕在意識の上では「まどかに会いたいから人間に堕とす」のであり、動機は欲望であったが、その判断は実のところ無意識下の罪悪感に影響を受けたものだった。言うなればこの捻じれ、秘されたトラウマこそ、「愛」が意思の尊重の上にではなく干渉的なものとして結実した遠因だった。暁美ほむらにとってその罪は、自分自身の幸福どころか相手の意思さえも圧倒するほどに深く魂に刻まれていたのだ。

こうした心理の下、暁美ほむらはある意味不随意的に「叛逆」を起こしてしまった。その後のほむらの言葉を正直に受け取ると「独善的だろうが構わない、私は私の思うまどかの幸せを守る」といった吹っ切りに思われるかもしれないが、決してそうではない。リボンほむらとして彼女はあまりにも重すぎる過ちを犯した、だからこそ最終話で受け取ったリボンは返却されるのだ。クールほむらとしても約束と贖罪が果たられたとはとても言い難い。これまでの心理的経過を考慮すれば、愛を語る「悪魔」とはほむらが自身を保つ為の仮面であり、まどかが再び「円環の理」となる兆候を見せた際のあまりにも傷付き怯えた姿、そこにこそ叛逆後のほむらの本質を見て取れるのではないか。善き人としての在り方を何もかも諦めて、それでも彼女は鹿目まどかの幸せを願った。それを「エゴ」だとか呼ぶ事が一体誰にできるだろうか。

*1:他にも自分の以前の記事が悉く感情的過ぎて恥ずかしいだとか、pixiv大百科があまりにも適当だとか、色々な理由で前から書きたかった。

*2:「当然、1話分の分量しか描写はできないわけなので、最低限のループ回数しか書けないんですよ。実際には、ほむらはもっとループしているんでしょうが、そこは自分自身も考えたこともないですね。」:『魔法少女まどか☆マギカ The Beginning Story』初版、p.283

*3:ここの感情をもうちょっと拡大解釈した妄想を友人に話したら小説にしてくれたので読んで下さい(宣伝)

*4:例えばwikiを参照。グリーフシードの意匠にはかなり個性があり、cらしきシンボルや五線譜を思わせる装飾から当該のグリーフシードは魔女化したさやかのものであると考えられる。