跳慮跋考

興味も思考も行先不明

共感、法、倫理――「なんで人を殺しちゃいけないの?」の真面目な話

「なんで人を殺しちゃいけないの?」
こんな質問は実際にする時点で多少ヤバいと思うが、だからと言って答えなくても良い訳ではない。では果たしてどう答えるべきだろうか。
例えば「法律で決まっているから」なんて答は最悪の部類だろう。これは「法律は殺人を禁じている」という事実を述べているだけで、ここには「何故法律に従わなければならないのか?」とか「何故そういう法律があるのか?」とか「法で禁じられていなかったらして良いのか?」といった疑問が依然残る。
「殺されるのは嫌だから」「その周りの人が悲しむから」というのは割と標準的な答ではなかろうか。通常の感性であれば「人の嫌な事はしない」のは当然だと思える。しかし、冒頭の質問は恐らく「通常の感性」に疑問を感じている人間からこそ発せられるものだ。果たしてそうした人々にも納得できる理由が存在するだろうか。
「『撃って良いのは撃たれる覚悟のある奴だけ』だから」はどうか。これは何も適当に引用した訳ではなく、社会契約説に基づけば「私は殺されたくない」から「人を殺すべきでない」が導かれるという意図を込めているのだが、詳細は法の話と合わせて後程議論したい。
差し当たっては二つ目の説明、特に「通常の感性」なるものについて話そう。

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