跳慮跋考

興味も思考も行先不明

まどか☆マギカ新編感想、或いは暁美ほむらと私

(この文章は『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』の感想でありネタバレを含みます。あと色々なものに酔って書いてるのでかなり読みにくいかも知れません)


私は暁美ほむらが好きだ。
何故と言われても困るが、あの第十話を観てからというもの「その、か、かっこいいな、なんて」「あなたは、どんな願い事をして魔法少女になったの?」「昨日、助けてくれたこと……絶対忘れたりしないもん!」等々の科白を聞くにつけてはほむらの心中が察せられて胸の締め付けられる思いをしてしまうのだ。
そうして私は『叛逆の物語』を観た。唖然であった。「愛よ」――知ってる、よく知っている。だが一体何をしたというのか、何がしたかったというのか。正直、救済前の奇妙に噛み合わない会話からずっとほむらが何を想い願って行動したのか全くの意味不明であった。
前半では悠々と我々を歓迎し、剰え「これが見たかったのでしょう?」「楽しいでしょう?」と問いかけておいて「でもそうじゃない」「それで分かったつもりか」と叩き落とす。今思い返してみるとこれは作り手からの、或いは暁美ほむら自身からの観る者への叛逆であったのかもしれない。
それでも彼女があの、一見理想の塊が如き世界で鬱々としてる事だけは痛切に伝わってくる。何を想うか分からなくとも、いや分からないからこそその感じだけが心の底に蟠り続けるのだ。
だから何度も観た。絶望の淵から希望を手繰る彼女の声が聞こえるまで。やがてほむらの行動だけは何となく腑に落ちるようになった。何故自死しなければならなかったかと言えば、改変後のほむら唯一の拠り所だったまどかの祈りを踏み躙ったからだろう、何故救済されてはならなかったかと言えば、まどかの祈りの重過ぎる代償を知ってしまったからだろうと。鹿目まどかを人間に戻すというのは、そういう壁に阻まれ道を閉ざされ追い詰められたほむらが「まどかを救う」為に見出したたった一つの冴えたやり方だったのではないかと。
だがそうすると、己の言わば「神堕とし」をほむらは何故「欲望」と呼んだのか、何故そんな(負の方向であるにせよ)積極的な言葉で表現したのか、私には彼女の言動がどうもしっくり来なかった。「鹿目まどかのままでいればいい」という想いが理想の押しつけだったとして、それに暁美ほむらが気づいたとしても、「それでも、あなたが幸せな世界を望むから」と言い切ったほむらが自らの苦心の選択肢を「欲望」と切り捨てるとは思えないのだ。
独立不羈を旗印に掲げる私ではあるが今回ばかりは如何ともし難く、色々と人の感想を読み漁り意見を求めた。その中で最も重要な示唆を与えたのは救済前の会話についてのもので、ほむらは「もう一度、あなたに会いたい」は「人間の」まどかと会いたいという事だ、と述べていた。成程そう考えれば彼女の行動にちゃんと筋が通ってくるのではあるが、果たしてそれが暁美ほむらの心からの願いなのか。「もう誰にも頼らない」と心に決めてからずっと距離を置き続け、ワルプルギスの夜を越えれば見滝原を去ると仄めかし、宇宙改変後はいつしか終わりの時に再開する事だけを頼りとしてきたあの暁美ほむらが何故人間の鹿目まどかを追い求めるのか。前編・後編を観返してみても今一つその実感は湧いてこなかった。はてさて進退窮まった、演繹が駄目なら発見的手法に頼らねばならない。

さて私は人の心中を推し量るのが上手くない。所謂心の理論が未熟なのかも知れないが、兎に角そんな私でも呆けて生きてきた中で多少は覚えた法則がある。それは、女の子は一般に「貸し借り」の天秤の傾きにかなり敏感であるという事だ。男の子はよく漫画で「貸し」だ何だと言うが、それと同じくらいに女の子は「貸し」を作らないで必ず「お返し」をする、というのが私にとっては大変リアルな事柄なのである。
そんな事を思い起こしつつまたほむらの歩んだ道をなぞってみると、どうやら彼女の最初の祈りというのは「鹿目さんを助ける」というよりは寧ろ鹿目さんに助けらた分ちゃんとお返し出来るような、そんな本当の友達、「対等な友達」になりたいという想いがあったのだろうと思えてくる。読み返してみればノベライズでのまどかは全く同じような悩みをずっと抱えているし、その観点からすると第十話において描かれたループの三周目は、魔法少女としてまどかとほむらが共闘して強大な敵を辛くも撃退し共に力尽きるという、ある種理想的な終局を迎えている。それはもう、暁美ほむらからすれば「何もかも滅茶苦茶に」してもいい程に。だが鹿目まどかはそうではなかった。彼女は最期まで「魔法少女としてみんなを守る」というアイデンティティを失いたくなかったのだ。故に、皮肉な事に「対等な友達」だからこそ、まどかはほむらに「助けて」と願ってしまう。友殺しの重き枷までつけて。斯くしてまどかを手に掛けたお下げに眼鏡の暁美ほむらは心の奥底へ封じ込められ、ただ約束を果たし罪を雪がんとする冷淡な暁美ほむらが生まれた。
だが契約を阻めば阻むほど、まどかは魔法少女の残酷な真実を知ってゆく。そして最後には、自らの存在自体を犠牲にして暁美ほむらを、世界の全ての魔法少女を救いたいと祈るのだ。それは魔法少女みんなの祈りを尊んだ結果かもしれないけれど、暁美ほむらだけはそこにはいなくて。「今までのほむらちゃん」の無駄にしていないのは行動だけで、ほむらの願いは結局何も叶えられる事など無かった。
神に等しくして、対等からは程遠く、感じることさえ出来ない。事ここに至っては、ほむらの願いはどうあっても叶えられなくなってしまったが故、彼女はまどかの最後の祈りを胸に抱いて生きるしかなくなった。「最高の友達」とは裏腹に、結局何もしてあげられなかった、罪を償えなかったという後悔を残して。

こうして漸く新編へと戻ってくる。
前半において綿密に描かれる夢の世界、あれは最初の暁美ほむらが願った世界だ。まどかと共に、みんなと共に楽しく戦い楽しく勝つ。
しかし、長い永い時を魔法少女の残酷な運命と戦ってきたほむらにとって、その世界は揺らぐ水面の鏡に映るが如く不安な違和感に満ちる世界だった。鹿目まどかの祈りを受け継いだ事だけが唯一の拠り所であった彼女にとって、それを無下にする世界には安住など出来よう筈もなかったのだ。
だがしかし、改変後のほむらの意志は夢の世界を巡ると共に瓦解してゆく。鹿目まどかの本当の気持ち、そして自分の魔女化。唯一残った拠り所さえも自らの浅ましさ、弱さが故に踏み躙ってしまったと、それはまどかが何よりも大切な全てを捧げてまで願ったものなのだと、そう気づいた彼女の絶望は如何に深かっただろうか。それでも「諦めないで」と言われた時、一体何を思ったか。
草原の二つの椅子は、きっと二人の理想の関係なのだろう。お下げのほむらはただ一緒に、髪を解いたほむらは救いたいと。しかしその手は届くことなく、高く舞い上がるあなたを貶めるだけ……。
夢の裡に自分の一番初めの祈りを、まどかの言葉に結局果たせなかった約束を思い起こさせられた暁美ほむらは、折り重なった時の中で極限を超えて濃縮された想いのままに、まどかを人間へと貶めたのだ。それは「対等の友達になりたい」「残酷な運命から救いたい」という二つの願いを叶える究極の選択肢である筈だった。
だが叶えてみるとどうしたことか、結局ほむらに残ったのは「まどかの祈りを踏み躙った」という事実だけではないか。だからこそ彼女は絶望したのだろう。私には受け継げなかったとリボンを返して、こんな結末を呼んだ自らの最初の祈りを「欲望」と罵って。それでも、まどかの祈りの大切さを知って尚、暁美ほむらは「あなたの幸せな世界を望むから」と宣言する。全てを手に入れたからにはもう失う事を恐れるしかないというのに、捨て切れない想い。後戻りはしないと新たな罪だけを抱えて生きるその姿は余りに痛々しい。

斯くして暁美ほむら視点では大したバッドエンドを迎えた訳であるが、鹿目まどかに眼を向けてみると彼女は相変わらずほむらの祈りの大切さ、或いは欲望というものを知らないままなのだ。だからきっと、ほむらの「愛」に勝つ事は出来ない。現状を打ち砕く手立ては恐らく、ほむらがまどかを落としでもしない限り見えてこないだろう。ほむらが、の部分は議論百出かも知れないが、兎角私は割と本気だ。愛を知らずして愛には勝てない。故に叫ぼう、まどほむに栄光あれ!