跳慮跋考

興味も思考も行先不明

コネクショニズムとシンボリズム

心 Advent Calendar 2017 - Adventar

主に人工知能の分野において、心というものの捉え方(これはどう作るかという工学的見方が強い)には大きく二通りがある。

脳と心の関係を、物理的な下位構造(脳)の基盤によって概念的な上位構造(心)が成立していると捉えると、コネクショニズムボトムアップの、シンボリズムはトップダウンのアプローチと言える。

例えば言語機能について。
コネクショニズムの立場では、言語機能を実現するには脳の言語を司る領野(ブローカ野やウェルニッケ野とされる)を調べ、その脳神経のネットワークをどうモデル化するかを考える。
一方でシンボリズムの立場では、概念や意味のモデルを考え、それが語によってどの様に表現されるか、それをどう処理するかを考える。

DNN は一応コネクショニズムの立場と言えるが、現在の興隆は応用あってのものなので実際の脳神経の様子については脇に置かれがちになっている。コネクショニストの本流は例えば全脳アーキテクチャの活動に見られるだろうと思う。
機械学習=NN という訳ではないし、シンボリズムで機械学習をやる派閥もたしか存在した筈だ。

脳全体からすると、感覚器官からの入力は神経ネットワークにより順々に処理されていく。
処理の初期段階では、情報表現はモダリティ自体の構造をよく保存している。例えば視覚ならば二次元の網膜像が、体感覚ならば体の形状がほぼそのまま脳に見られる。
これが後の処理になるにつれて抽象化され、記号的な表現となっていく。この抽象化とか即ち分類(クラスタリング)であり、その基準は外界ではなく生物側の都合である。食べられるか食べられないか、危険か危険でないか、などなど。(情報分野では「醜いアヒルの子の定理」と言われる。)
言語相対性仮説(サピア・ウォーフ仮説)の文脈でよく引き合いに出される、

イヌイットは、現在降っている雪、水分を多く含んだ雪など、雪を表すためにいくつもの単語を使うが、英語では雪を表す用語は1つしかない

(ニック゠ランド『言語と思考』新曜社、p.17)といった事実は「抽象化は必要に駆動される」事をよく表しているだろう。

こうした処理過程を見るに、脳の情報処理の初期ではコネクショニズム的なモデルが、また高次ではシンボリズム的なモデルが妥当するように思われる。