跳慮跋考

興味も思考も行先不明

精神疾患

(この文章は専門家によるものではなく、健康に関わるどんな判断も以下の情報を参考にすべきではない事をご承知下さい。)

精神医学はいわば神経心理学トップダウン版として、心への洞察を与えてくれる。

分類

精神医学では心の不調の原因を以下の 3 つに求める。

  • 心因(社会・心理的なもの)
  • 内因(遺伝・体質的なもの)
  • 器質因(脳神経によるもの)

勿論これらは互いに無関係ではない。例えば統合失調症には遺伝的な要因があり、一般の有病率が 1% 程度なのに対して患者の親子や兄弟では 10~15%、一卵性双生児では 50% 弱になる(内因)。一卵性双生児でも 100% 近くにならない事は環境的な要因の存在を示唆しているし、心理的なストレスが発症の引き金になるとも言われている(心因)。また患者の脳ではシナプスの過剰な刈り込み(霊長類の脳に特徴的な、成長と共に不要なシナプスが除去されていく過程。自閉症では逆に刈り込みが不十分になっている)が起こっているという報告がある(器質因)。

心因性

主要な心因性疾患として「神経症」と呼ばれる一群がある。これは日常語でのノイローゼに近い。

『精神医学ハンドブック 第7版』(山下格、日本評論社)では神経症を以下の 5 群に分類している。

症状の例
不安状態、抑鬱状態 不安状態、抑鬱状態、疲弊状態
恐怖状態 高所恐怖、閉所恐怖、空間恐怖、対人恐怖
脅迫、解離・転換状態 強迫性障害、解離・転換性障害
環境反応 急性ストレス反応、外傷後ストレス障害適応障害
妄想状態 被害妄想、嫉妬妄想、恋愛妄想

中でも解離性障害の症状は複雑で、健忘、フラッシュバック、対外離脱体験、離人感(現実感が失われ世界が書割の様に感じられる)、多重人格などが含まれる。

内因性

気分障害統合失調症が代表的である。

気分障害鬱病躁鬱病双極性障害)の総称として用いられる。

「気分が重く、何もやる気が起きない。やるべき事は分かっているが体が言う事を聞かない。そうした自分に苛々するがどうする事もできない」といった訴えが典型的な鬱病として扱われる事があるが、ここでの「苛々する」には躁の成分がある。純粋な「鬱病」というものは存在せず、それぞれの症状は躁と鬱の比率が違うに過ぎないという立場もあるらしい。

統合失調症は特に妄想の症状でよく知られているが、伝統的には次の 3 類型に分けられている。

類型 症状
妄想型 最もよく見られる。妄想や幻覚が主で意欲や認知にはあまり障害がない。感情が不安定で怒りっぽくなる傾向がある。
破瓜型 意欲・感情に欠け、周りに無関心になる。会話に纏まりがなく疎通感に乏しい。
緊張型 体を硬直させ、何かさせようとしても拒否し、同じ動作を反復したりする。先進国ではあまり見られなくなっている。

発達

言葉や読み書きなど特定の能力に関する限定されるものとは違い、全般的な心理的発達の遅れがある(がしかし知能が中心の精神遅滞とは違う)場合を広汎性発達障害(PDD)と呼ぶ。

自閉症スペクトラム)はPDDの一種で、以下の三つを症状とする。

  • 対人関係の障害
  • 言葉によるコミュニケーションの障害
  • 限られた対象への執着

自閉症の内でコミュニケーション能力に障害が見られないものをアスペルガー症候群と呼ぶ。PDDの内で知的能力に問題がない場合を高機能PDDと呼ぶが、ここにアスペルガー症候群も含まれる。

文化との関係

DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル、米国精神医学会発行)やICD-10(国際疾病分類、WHO発行)には文化結合症候群(文化依存症候群)の存在が認められており、例えば「対人恐怖症」は日本固有のものとされている。しかし普遍的であるかの様に扱われている諸症状も、文化的影響を多大に受けている事が文化精神医学では指摘されている。

パーソナリティ

パーソナリティを体系的に理解しようとする試みは多いが、その中でも広く知られているビッグファイブと、生理的な基盤を強く意識したクロニンジャーの7因子モデルについて述べる。

ビッグファイブ

ビッグファイブ(5因子モデル)では以下の 5 次元でパーソナリティの特徴を表現する。

因子 特性
経験への開放性(Openness to experience) 知性・好奇心。独創的で新しい経験を好む。
勤勉性(Conscientiousness) 誠実。意志が強く目的に向って邁進する。
外向性(Extraversion) 社交的。外界に対して積極的に働き掛ける。
協調性(Agreeableness) 調和性。共感的で周囲の意向を尊重する。
神経症傾向(Neuroticism) 情緒不安定。危険に敏感で不安を感じやすい。

この 5 因子は様々な研究を通じて取捨選択されたもので、多くの文化に共通している事が確認されている。

クロニンジャーの7因子モデル

ロバート゠クロニンジャーはパーソナリティを遺伝的な「気質」の 4 次元と、後天的な「性格」の 3 次元から記述した。

気質 特性 関係する神経伝達物質
新奇性追求(Novelty Seeking) 新奇刺激を求めて行動を起こしやすい。 ドーパミン
損害回避(Harm Avoidance) 潜在的なリスクを気にして不安になる。 セロトニン
報酬依存(Reward Dependence) 社会性・対人関係を志向する。 ノルアドレナリン
固執(Persistence) 一つの行動への拘りが強い。

クロニンジャーは最初、神経基盤や学習心理学との関聯を意識して固執以外の 3 因子を挙げた。そこでの「報酬依存」は文字通りに正のフィードバックへの感応性を表していたが、後の研究で、報酬依存に含まれていた「固執」が実は独立である事が見えてきた。その為固執には関係する神経伝達物質が想定されていない。

性格 志向するもの 特性
自己志向 個人 自分自身の目的・価値観に従う。
協調 社会 他者に共感し奉仕する。
自己超越 宇宙 他者や自然と調和し融合的感覚を持つ。

ここでの「性格」とは自己定義の問題であり、「誰の為に行動するか」の範囲を示すものと言える。

論理と価値観

人間の知識(命題)は経験や情報伝達によって獲得され、また「推論」で述べた様な推論能力から新たな命題が生み出される。これらは確かとは限らないが、一方で人間の「論理」と呼ばれる能力は、既知の命題から必然的に成立する命題を導く。

形式論理

論理システムは形式論理、中でもゲルハルト゠ゲンツェンの自然演繹としてモデル化される。命題論理の自然演繹であれば、特殊な命題⊥(矛盾)と以下の記号で命題が構成される。

  • ¬(否定、~でない)
  • ∧(連言、かつ)
  • ∨(選言、または)
  • →(含意、ならば)

P と Q が前提としてある時 P∧Q が導入される、という様に推論規則が定義される。この推論規則は複合的な命題の構造を説くもので、論理的推論によって導かれる命題は全てその前提にある意味で「含まれている」といってもいいかもしれない。ただこれは人間の直観を全く超越した話であって、直観的に理解している(つもりの)前提から様々に非自明な命題が証明される事は数学の諸問題から知る事ができる。

価値観

哲学」で述べた様に、「どうであるか」を言う事実命題から「どうすべきか」の当為命題を導く事はできない。「べき」を含む主張には必ず観測事実からは導かれない当為命題(価値判断)が前提とされている筈で、その意味では純粋に「論理的な主張」というものはありえない。

例えば「原子力発電を利用すべきか」という問題を考える。原子力発電の特徴として

等が挙げられるが、これらは事実命題であって、それを「べき」に繋げるのは各人の価値観である。

  • コストは低くあるべき
  • リスクは小さくすべき

といった広く共有された価値観(常識)によって、ある程度は共通の判断が下されるが、人によって判断の分かれる要素もある。また競合する価値判断のどれを優先するかも異なる。(そもそも「原子力発電は良い」「原子力発電は悪い」というざっくりしたレベルの判断が先行する場合もある。)

価値観も概念に紐付いていると考えれば、経済学で言う効用関数に近いイメージで捉える事ができる。生理的な嗜好・嫌悪は扁桃体などが基盤となっており、またより社会的な善悪は新皮質の働きに帰せられるものと考えられる。

矛盾

進化心理学的に言えば、矛盾は情報伝達における虚偽のシグナルであるから、その検出には十分進化的な価値があると考えられる。

一方で、上に述べた常識(共有された当為命題の集合)は端的に言って無秩序であり、相互に矛盾する内容を含む。(個人的には「弘法筆を選ばず」「弘法も筆の誤り」が共存しているのが印象深い。)

しかし古典論理排中律を認める体系)では爆発律、つまり ⊥→P「矛盾からは任意の命題が導かれる」が成り立つ。実際に常識の体系からは任意の事が言えるだろうか? これを現実的な文脈に落とし込めば、「フライパンは食べられない、しかし『弘法筆を選ばず』かつ『弘法も筆の誤り』というのはおかしい。よってフライパンは食べられる」といった具合になる。人の感覚からすると、関係のない物事についての矛盾から¬導入(背理法)を用いるのは不自然なのだ。

仮説生成的な推論に於いて人間の思考は自然演繹よりも自由に働くが、一方で論理推論に於いては、より限られた働きをする様に思われる。

推論

概念 X に関する知識は P(X) という命題として表される。推論とは既存の命題から新たに尤もらしい命題を得る操作だと言える。

人間の推論には 3 通りの方式がある。

これらが導く命題は妥当とは限らないが、未知の命題を生成する基本原理として決定的な重要性を持つ。

帰納法

帰納法は既存の命題の一般化を行う。

P(X), in(X, Y) ⇢ P(Y)

ここで in(X, Y) は、X がカテゴリーとしての Y に含まれる事を示す。

この操作が妥当性を持つのは、一般に初め認識されたカテゴリー X が P(·) なる性質を持つ最小のものとは限らない事から来ている。

当然ながらどこまでも一般化できる訳ではないので、カテゴリーを広げ過ぎると妥当性は失われる。例えば哺乳類は皆性別を持つが、生物一般が性別を持つのではない。

演繹法

演繹法は既存の命題の特殊化を行う。

P(X), in(Y, X) ⇢ P(Y)

概念(カテゴリー)が集合であり、P(X) が ∀x, x∈X ∧ P(x) の意であればこれは必ず成り立つのだが、「認知文法」で述べた様に人間の直観的カテゴリーは厳密な集合ではなく、プロトタイプ性等を有している。ここでは集合に関する概念や操作も一つのスキーマとして習得されるものとの考えから、人間の概念システムそのものを集合に依拠して記述するのは避ける事にする。

具体的に(この素朴な)演繹法が誤る場合とは、正にこのカテゴリーとしての概念が集合とは異なる点から発生する。
例えばイチゴは基本的に果物カテゴリーへ分類されるが、一方で果物の特徴とされる「木になる」性質を満たさない。ではイチゴが果物ではないかというと日常的にそうした扱いをする人はいなくて(イチゴが野菜だと言うならば野菜炒めにイチゴが入って出てくる事を想像してほしい)、一種の例外であるという認識になるだろう。

アブダクション

アブダクションは既存の命題をよく説明する命題を導入する。

P(X), P'(X)→P(X) ⇢ P'(X)

一般にアブダクションの定義では「よく説明する」とはどういう事かが問題となるが、ここでは「妥当でなければ棄却すればよい」という方針で運用に頼る事として、推論の原理(新たな命題の根源)としてはこの形式とする。

これは後件肯定と呼ばれる論理的には妥当でない推論と同じ形だが、だからこそ最も創造的でもある。特に大抵の科学理論はアブダクションによって導入される。

例えばアイザックニュートンによる万有引力説「全ての物質は互いに引き合う性質を持つ」は、ヨハネス゠ケプラーによる惑星運動の法則を説明するものとして導入された。これは現在まで通用しており、結果的にアブダクションが妥当な推論であった事になる。

一方で燃焼現象について、ゲオルク゠シュタール等はフロギストン説「可燃性物質は燃焼時に放出される共通の元素を持つ」を導入した。これは錫や鉛といった金属の酸化で質量が増える事等を説明できず、後にアントワーヌ゠ラボアジエによって酸素説へと置き換えられた。

進化心理学

進化心理学は心の特性を進化的に解明しようとする学問だが、その中心的な考えに「進化的適応環境」がある。

人間は百万年以上の長い間、狩猟採集による生活を続けてきた。約一万年前に農耕を始める以前のこの環境が人間の心理的特性を進化させた(進化的適応環境、EEA)とし、それにどう適応しているかという観点から現在の人間の心理メカニズムを調べるのが進化心理学の方法論である。

生きづらさ

進化に説明を求める動機の一つとして、現在の不適応は過去の適応の名残なのではないか、という考えがある。

例えば EEA の環境は変化に富み、食物の供給は安定せず砂糖や脂肪に富んだ食事などありえなかった。故にそれらの過剰摂取へ対処する機構は必要とされず、栄養事情に関して真逆と言っていい現代では糖尿病や肥満といった不適応が現れている。こうした説明が進化的観点からは与える事ができるのである。

またこれは私見だが、所謂「承認欲求」も EEA において社会の成員として認められ、諸々の援助を社会から獲得する為に必要だったのではないか、という風に考えられる。

性差

EEA に於いては男女分業が成立しており、性差はそこでの淘汰圧の違いから発生したと考える事ができる。

例えば空間的認知では、男性の方が構造的な特徴の把握を得意とするのに対して、女性は風景やランドマークといった視覚情報の記憶を得意とする。この差は男性が狩猟で広範囲を動き回る必要があった(適応的だった)のに対して、女性は採集の為に食物の場所や食べ頃を憶える必要があったからだ、という事になる。

他にも嫉妬感情では、男性が肉体関係を咎めるのに対して女性が精神面を咎めるのは、男性側からするとどの子が自分の遺伝子を継いでいるか判らないのに対し、情勢側からすると男性が自分の子供に投資してくれないと困るからだ、という説がある。

尤もこれらはそもそも性差が本質的にどこにあるか、また進化心理学全体に言える事として、それが本当に後天的ではなく先天的なものなのか、という点を究明するのは難しく、濫用を警戒しなければならない論理でもある。

精神力動論

ジグムント゠フロイトは我々が今や日常的に用いている「無意識」の概念を心に見出し、力動的な心理観を展開した。

騎手と暴れ馬

フロイトの提唱した心の構造は「第一局所論」と「第二局所論」に分かれるが、基本的には「騎手と暴れ馬」の比喩で理解できると言ってよい。
人間は暴れ馬の様な制御しがたい本能を持っており、意識(自我)とはそれを何とか宥めようとする非力な騎手に過ぎない、というのがその意味するところである。本能の生む衝動は前意識的、つまり意識しようとすればできるものだが、時に「固着」や「抑圧」によって問題を引き起こす。

「固着」の背景には「衝動は発達する」という考えがある。例えば衝動発達の系列として「遊ぶ」「恋愛」「社会貢献」といったものがあるとしよう(この組み合わせは適当だが、とにかく「遊ぶ」事への衝動は非常に初期から存在するだろう)。ここで「遊ぶ」段階の時期に十分この衝動が満たされないと、ここに衝動が固着する。拘りが生まれると言ってもいいかも知れない。すると最早「遊ぶ」衝動は何をしても満たされる事がなく、いつまでも渇望感に支配されてしまう。よく「ゲーム禁止の反動」と言われる現象は固着によってよく説明される様に思う。

「抑圧」は衝動を無意識下に追いやる力である。外的な抑圧があってそれを無視しようとしたり、自分の中での道徳律によるものだったりするだろう。後者は第一局所論に於いて「自我本能」と呼ばれたが、第二局所論では「超自我」という独立した本能(自我と対立するという意味でここでは本能に含める)に分けられている。抑圧された衝動はエネルギーの澱を作り、捌け口を求めて精神疾患の諸症状を起こすに至る。

フロイトはこうした解釈から、催眠や自由連想法により無意識下の衝動を暴き出し、治療へ繋げる事ができると考えた。これが精神分析の方法論である。第二局所論のエス(イド)と超自我は、本能の内で生理的なものと規範的・社会的なものにそれぞれフォーカスしたものと言える。

フロイトの思想

フロイトは心について決定論の立場を取っていて、例えば言い間違いでもそれは抑圧された本心が垣間見えたものなのだとか、たとえ「思いつき」でもそれが全くの偶然ではありえないとか、夢は無意識下の願望から生じる等の指摘をしている。

フロイトの主張は広範な分野に影響を与えたとはいえ、その全体を心理学的理論であると考えるのは(今のところ)難しい。我々の現在の科学は「抑圧された衝動」等を検証する術を未だ持っていない。ましてユングアドラーの思想を「心理学」などと呼ぶのは甚だ不誠実と言わねばならないだろう。

感情モデル

感情を整理分類しモデル化したものとして幾つか有名なものがある。

エクマンの基本表情

感情自体ではなく表情(感情の顔による表現)だが、ポール゠エクマンは欧米、日本、スマトラ等の多様な文化間で「喜び(happiness)」「悲しみ(sadness)」「怒り(anger)」「恐怖(fear)」「嫌悪(disgust)」「驚き(surprise)」の基本 6 表情が通用する事を見出した。

プルチックの感情の輪

ロバート゠プルチックは 「喜び(joy)」「信頼(trust)」「恐怖(fear)」「驚き(surprise)」「悲しみ(sadness)」「嫌悪(disgust)」「怒り(anger)」「期待(anticipation)」の 8 感情を基本とし、これらの強度の違いや混合によって多様な感情を説明しようとした。

File:Plutchik-wheel.svg - Wikimedia Commons より)
混合は正反対にある全ての感情の組み合わせについて以外についてあるとし、隣同士を一次の混合感情、一つ飛ばしを二次、二つ飛ばしを三次と呼んだ。例えば一次の混合感情は次の通りである。

一つ目 二つ目 混合
喜び(joy) 信頼(trust) 愛(love)
信頼(trust) 恐怖(fear) 服従(submission)
恐怖(fear) 驚き(surprise) 畏怖(awe)
驚き(surprise) 悲しみ(sadness) 失望(disappointment)
悲しみ(sadness) 嫌悪(disgust) 悔恨(remorse)
嫌悪(disgust) 怒り(agner) 軽蔑(contempt
怒り(anger) 期待(anticipation) 攻撃性(aggressiveness)
期待(anticipation) 喜び(joy) 楽観(optimism)

ただ、この 8 感情はやや統一性を欠く様に思われる。例えば信頼や嫌悪は対象が無くては成立しないが、喜びや怒りは自発的に発生しても違和感がない。驚きが持続するという事はないが、他は継続して感じ続ける事もありうる。心それ自体の志向性に拘わらない状態、という意味に於いては次がより尤もらしく思われる。

ラッセルの円環

プルチックでも対立軸が現れているが、ジェームズ゠ラッセルの円環モデルでははっきりと「覚醒(arousal)-眠気(sleepiness)」「快(pleasure)-不快(unpleasure)」の二軸によってモデル化されている。

Russell, James. (1980). A Circumplex Model of Affect. Journal of Personality and Social Psychology. 39. 1161-1178. 10.1037/h0077714. の Figure 4)
様々な感情はこの二次元平面に乗った円環上に同定され、例えば覚醒・快ならば興奮、覚醒・不快ならば怒り、眠気・快ならば安らぎ、眠気・不快ならば憂鬱となる。(中心からの距離で感情の強度を表すとすれば円環と言うより円盤になる)
覚醒度と快は明らかに生理的な基盤を持っており、簡潔ながら説得力の高いモデルだろう。