跳慮跋考

興味も思考も行先不明

時空間モデル

人間は時空間の様子について非常に多様な記号化を行う。

空間

二つの物の位置関係だけでも「接している」「噛み合っている」「重なっている」「乗っている」「入っている」「覆っている」「近い」「離れている」などと言う事ができ、これに「少し入っている」「大きく離れている」など尺度の表現を取り入れる事もできる。これらの表現はそれぞれに空間を分節化しコードするモデルが存在する。
例えば「近い」「遠い」においては距離の尺度がそれであり、「入っている」「出ている」では「箱」と「中身」の二者関係であり、「重なっている」では平面が何層か重なった 2.5 次元的なモデルが基盤となっている。
人間は 2 次元図形ならばある程度任意の形状をイメージする事ができるが、恐らく 3 次元の場合にはその自由度がかなり制限される(ただ私は今のところこの主張に関する研究を見付けられていない)。すると人間の非記号的モデルは結局 2.5 次元空間に殆ど帰結する様に思われる。心的回転などもいくつかの学習された 2 次元形状の連続系列を組み合わせる事で達成されているのではないか。

分節化

空間関係を実装可能なレベルにまで具体化したモデルとして RCC-8 がある。
A と B の二つの領域があるとして、次の様な互いに非交叉の関係に分類する。

分類 意味
DC (Disconnected) A と B が接触していない
EC (Externally Connected) A と B の境界線同士が接している
PO (Partial Overlap) A と B がユークリッド空間内で一部だけ重なっている
EQ (Equal) A と B がユークリッド空間内で完全に同じ領域を占めている
TPP (Tangential Proper Part) A が B の中にあり、かつ B と境界線同士が接している
NTPP (Non-tangential Proper Part) A が B の中にあり、かつ B と境界線同士が接していない
TPPi (Tangential Proper Part Inverse) B が A の中にあり、かつ A と境界線同士が接している
NTPPi (Non-tangential Proper Part Inverse) B が A の中にあり、かつ A と境界線同士が接していない

認知心理学におけるモデルは抽象度が高くてプログラムにまで落とし込む事が難しく、こうしたモデルは非常に有難いのだが、分節化の境界を明確にすると適用が難しくなる場合も多い。例えば「付き添っている」と言ったとき、両者の位置関係は人によって EC だったり DC だが近いという状態だったりするのではないか。あらゆる関係性を単一モデルで分節化しつくそうとするよりは、空間モデルの上に様々な関係性スキーマ(「近い-遠い」「接触している・していない」「入っている・いない」など)が必要に応じて適応されると考えた方が実態に近い様に思われる。

視覚イメージ

V1 では網膜像の構造(任意の二点間に距離が定まっている事が本質的であり、数学的には距離空間の構造と言える)をよく保存しているが、それは処理が進むにつれて失われる。

視覚イメージに関して非常に興味深い障害に半側空間無視(hemi-inattention)がある。例えば左脳の損傷によって右側(視覚の入力は視交叉で半分だけ交換される)の視界が認識されなくなるが、これは今まさに見えているものだけが無視されるのではない。想像上の空間の右側さえも無視されるのである。

ピシアッチとルツァッティ(1978*1)は、ミラノ市をよく知っている彼らの多数の患者に、大聖堂に向って東に面している主要な広場ピアッツァ・デル・ドゥーモ(大聖堂広場)に立って記述するように頼んだ。彼らは広場の中央と大聖堂の西の正面を記述した。彼らは彼らの(想像上の)右側の建物だけ、つまり広場の南側だけを記述した。つぎに彼らは、広場に面している大聖堂の段の上に立って、彼らが見たものを再び記述するように命じられた。彼らは広場の中央部の記述を繰り返し、また広場の西のはじにあり、彼らの前にある建物を報告した。しかし今や彼らは、広場の北側(再び彼らの想像上の右側)の建物を記述した。そして以前に記述した南側の建物をあげるのを怠った。

(J・グレアム・ボーモント『増補版 神経心理学入門』青土社、安田一郎訳、p.148)
更に系列の模写を行う課題では、要素内での無視に加えて系列全体での無視も起こりうる事が報告されている。こうした症例は人が視界にある種の「枠」を持ち、注意によってそれが移動する様なイメージを想起させる。

視覚イメージは完全に「図」として保持されている訳ではなく、言語的な符号化の影響を受ける。例えば曖昧で多義的な図形を記憶して再現する(被験者に記憶から手で描いて貰う)実験では、図形と共に名前を与えると、その名前に図形の細部が引き寄せられる効果が見られる。
かといって完全に記号的であるとは言い難く、例えば立体形状を回転させるにはその回転角に比例した時間が掛かる事が知られている(心的回転)。

視覚イメージは様々な概念の理解にも利用される。
音の周波数や物の価格などを「高い」「低い」と表現するとき、これは尺度の大小を視覚的なイメージに喩える事で表現している(概念メタファー)。尺度という概念はまず空間上の位置として獲得され、それが比喩的に他の概念領域(ドメイン)へ利用されていく事で抽象化され完成するのかも知れない(ピアジェ的な認知発達)。

*1:Bisiach, E., & Luzzatti, C. Unilateral Neglect of Representational Space, Cortex, 14 (1978),129-133. 孫引きですいません……

大脳新皮質

大脳新皮質前頭葉頭頂葉、側頭葉、後頭葉に分けられ、左右で独立している。左右の脳は脳梁などの一部でのみ接続しているが、驚くべき事にこれを全て切断しても(分離脳)日常生活にほぼ支障がない。
感覚情報は次の様に各脳葉へ入力する。

(一般に腹側・背側、吻側・尾側といった表現が使われるが、ここではカジュアルに直立時の位置関係で表現する。)

視覚

視覚情報は後頭葉の V1(一次視覚野)から側頭葉の下部へ向かう腹側視覚経路と、頭頂葉へ向かう背側視覚経路に分かれる。
腹側視覚経路(What 経路とも呼ばれる)の末端に当たる側頭葉では円から星型に至る形状、縞模様などのテクスチャ、また特定の人間の顔にまで及ぶ種々の刺激を検出するニューロン神経細胞)群が存在する。こうした高度な特徴抽出は DNN の画像分類でも自然と発生するという。
背側視覚経路(Where 経路とも呼ばれる)は頭頂葉前部からの身体感覚の情報とも統合され、頭頂葉で何らかの時空間モデルに基づく表現へと変換される。

言語

側頭葉付近には言語中枢が集まっている。
側頭葉の頭頂葉と接する辺りはウェルニッケ野と呼ばれ、言語理解を担っているとされる。
一方で前頭葉の側頭葉と接する辺りにはブローカ野が存在し、発話を担っている。1861 年にポール・ブローカが報告した、「タン、タン」としか話せない患者がこの部位を損傷していた事から名付けられた。
ただ最近はブローカ野が生成文法で言う併合(動詞に主語を与えて節を作る様に、構文木を構築する操作)を行うなど、それほど役割が単純ではない事が指摘されている。

運動

前頭葉頭頂葉の接する部分では、そのどちらにも身体がマッピングされており、頭頂葉が身体感覚の入力を受ける一方で前頭葉は身体運動の命令を行う。前頭葉の前部ではより高度な運動の計画や、身体運動だけではないより長期の行動・出来事を想像して判断を下す機能がある。
大抵の認知課題における前頭葉の活性化は思考(イメージ操作)が身体運動に根差しており、概念操作は物理的操作と通底するというピアジェ的な発達観を支持している様に思われる。

脳の新皮質以前

脳は内側からざっくりと脳幹・間脳、大脳辺縁系大脳新皮質に分けられ、外側ほど新しい、つまり後の時代の生物で進化した構造になっている(勿論単純に層が追加されていった訳ではないが)。

部位 機能
脳幹 生命維持・反射
間脳 単純な感覚情報処理
大脳辺縁系 情動・記憶
新皮質 高次認知、思考能力

また脳幹には小脳が接続しており、運動の円滑化を担っている。後述するように運動の計画・命令自体は新皮質で行われており、小脳はその運動を滑らか・巧くする事に寄与している。

新皮質については別に記すとして、ここではそれ以前の古いシステムについて述べる。

間脳

間脳の内で視床下部は摂食、飲水、性行動などの生命活動を担う。例えば動物実験では腹内側核に満腹中枢があり、外側野に空腹中枢がある事が示唆されている。
空腹中枢は血中グルコース濃度の低下などから「空腹である事」を検知し、生物の摂食行動を駆動する。即ち状況の記述(事実命題)をするべき事(当為命題)に変換する、動機付けの中枢と言える。

大脳辺縁系

扁桃体

大脳辺縁系扁桃体(大脳の内側には大脳基底核と呼ばれる構造群もあり、こちらに分類される事もある)は生物としての価値判断を担う。例えば正常なサルではヘビの模型に対して逃避行動を示すが、扁桃体が損傷したサルの場合はそれが消失する。
扁桃体は「それが何であるか」を判断する腹側視覚経路の終着点にあり、快・不快の観点から刺激の価値判断を行い、視床下部の動機付け機構のサブシステム的に働いている。

海馬

大脳辺縁系の海馬は長期記憶(しかし永続的ではない)を担っている。
神経心理学(脳の損傷から心の機能がどう影響されるか調べたりする)で最も有名な患者の一人に H.M. がいる。彼は 1953 年、癲癇の治療の為に脳の両側で海馬の一部を(扁桃体など周辺部位と共に)切除された。癲癇はよくなったが、一方で彼には重度の記憶障害が残った。
即ち、手術前 2 年ほどの記憶が曖昧になる(逆行性健忘)と共に、それ以降は何も新たに物事を記憶する事ができなくなった(前向性健忘)。ただ人との会話や殆どの知能テストは問題なくこなせた。
これは短期記憶(ワーキングメモリ)が正常に機能している一方、海馬の中長期的な記憶機能が喪失し、永続的な記憶(これは新皮質に形成される?)への移行が不可能になった、ただし永続的な記憶へのアクセス自体は失われていない。という状態と考えられるだろう。

またラットの実験からは、海馬に自己の位置を表現する場所細胞が存在すると示されている。場所細胞は一度活性化すると暫く発火が続くが、このタイミングは海馬全体で見られる周期(θリズム)に対して徐々に早くなる(θ位相歳差)。
人間の場合は明確に場所細胞と言うべきものは見付からないが、記憶機能の存在も考えると海馬では、事象の時系列一般を同様な方法で表現している可能性がある。

コネクショニズムとシンボリズム

心 Advent Calendar 2017 - Adventar

主に人工知能の分野において、心というものの捉え方(これはどう作るかという工学的見方が強い)には大きく二通りがある。

脳と心の関係を、物理的な下位構造(脳)の基盤によって概念的な上位構造(心)が成立していると捉えると、コネクショニズムボトムアップの、シンボリズムはトップダウンのアプローチと言える。

例えば言語機能について。
コネクショニズムの立場では、言語機能を実現するには脳の言語を司る領野(ブローカ野やウェルニッケ野とされる)を調べ、その脳神経のネットワークをどうモデル化するかを考える。
一方でシンボリズムの立場では、概念や意味のモデルを考え、それが語によってどの様に表現されるか、それをどう処理するかを考える。

DNN は一応コネクショニズムの立場と言えるが、現在の興隆は応用あってのものなので実際の脳神経の様子については脇に置かれがちになっている。コネクショニストの本流は例えば全脳アーキテクチャの活動に見られるだろうと思う。
機械学習=NN という訳ではないし、シンボリズムで機械学習をやる派閥もたしか存在した筈だ。

脳全体からすると、感覚器官からの入力は神経ネットワークにより順々に処理されていく。
処理の初期段階では、情報表現はモダリティ自体の構造をよく保存している。例えば視覚ならば二次元の網膜像が、体感覚ならば体の形状がほぼそのまま脳に見られる。
これが後の処理になるにつれて抽象化され、記号的な表現となっていく。この抽象化とか即ち分類(クラスタリング)であり、その基準は外界ではなく生物側の都合である。食べられるか食べられないか、危険か危険でないか、などなど。(情報分野では「醜いアヒルの子の定理」と言われる。)
言語相対性仮説(サピア・ウォーフ仮説)の文脈でよく引き合いに出される、

イヌイットは、現在降っている雪、水分を多く含んだ雪など、雪を表すためにいくつもの単語を使うが、英語では雪を表す用語は1つしかない

(ニック゠ランド『言語と思考』新曜社、p.17)といった事実は「抽象化は必要に駆動される」事をよく表しているだろう。

こうした処理過程を見るに、脳の情報処理の初期ではコネクショニズム的なモデルが、また高次ではシンボリズム的なモデルが妥当するように思われる。

心 Advent Calendar 2017

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心の話をしようと思います。

内容は上のページの通り脳神経から哲学まで横断しますが、どれも専門的な教育を受けた訳ではないのであまり信用しない方が良いかも知れません。Wikipedia と同じくらいの信頼度だと思って下さい。

参考文献

WindowsでC++からTensorFlow(GPU有効)を使う

前回ので Python からテンサーをフローできる様になった訳ですが、型もなくテストもないのに何百行と書いているとあまりにも不安で抑鬱状態になってしまいますね。
そこで C++ からフローしてみましょう。

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